( Japan )
1年ぶりのブログ更新、
みなさんがお元氣に日々を過ごされていることを願います。
昨年の今日、多くの人々のサポートや優しさのおかげで、
オーストラリア大陸・単独徒歩横断を達成しシドニーにゴールをさせて頂きました。
お世話になったみなさん、本当に、本当に、ありがとうございます。
おかげさまでオレも充実した日日を過ごさせて頂いています。
みなさんに心から感謝をしています。
今回はこの1年をまとめた、ちょっとしたシェアをさせて頂きます。
あれから一年。
時が経つのは本当に早い。
昨年8月末に帰国してから、数ヶ月親友のいる京都は綾部の農樹にお邪魔をさせて頂いた後、
10月末に東北へ行き寄付を届けて来ることができた。
2年ぶりに訪れた東北地方では、建物の復旧については当時より進んでいたものの、
インフラであったり人々の心のサポートについてはまだまだ追いついていないのだなと、正直感じた。
とある地域の若いタクシー運転手の方からは、
「土地が住めるように戻ってきたものの、仕事は無いし若者は別の地域に移ってしまう。
今では物理的に動けない家族やお年寄りぐらいしかこの辺りには住んでいないのですよ」
ということをお話を聞く。
テレビや新聞・ニュースではその情報に触れていたものの、
現地で間近にその状況を見ると、本当に言葉を失う。
・・・いや、本当に言葉を失うんですよ。
故郷の喪失、帰る場所が無くなるということ。
その必死に抑えられた「悲しみ」が伝わってくると、胸が締め付けられる。
「被災地の今」がメディアで以前ほど取り上げられなくなり、
支援がどんどん減っていく中、
それでも何とか前を向いている。
平たくなっちまった土地で、そんな話をタクシーの中で聞きながら、感情を揺さぶられた。
ただ逆説的に言えば、
「今、帰る場所がある」
という幸せを震えるほどに感じた。
ふるさと、故郷、そして日本という母国。
きっと、それが東北訪問で感じた一番の想いだった様に思う。
確かに街には明るさが戻ってきているのだけど、
あくまでもそれは物理的な明るさで、
でも砂漠の真夜中に 、数十キロ先に見える人工的な灯りはまた格別なものであることも事実で、
そんな物理的な明るさも文明には必要不可欠なんだろう。
同時に、 人々の心への灯りの投影は、 いつまでも続けていかなければいけないことだと強く思った。
たまたま今回オレはチャリティーという形で東北に関わらせてもらったからこそ思うことだけれど、
いつまでも語り続けなければいけないことが2011年に起こった。
例えば終戦70年になる今年も、
広島や長崎で慰霊式典が行われ続けている様に、
東日本大震災は戦後日本の最大の危機(それは放射能や原発、各自の思想についてもそう)だった様に感じているし、
語り継がなければいけないことが「現在進行形で」 山ほどある。
今のオレは仕事をさせてもらいながらの毎日で、
あのオーストラリアの大地が毎日フラッシュバックするものの 少しずつ「過去」になっていく様に、
きっと東北の復興も関係性が希薄であればあるほど、
人々の心の中ではどんどんと「過去」に追いやられていくのだろう。
これは、あくまでもオレの個人的な意見。
だからこそ、風化をさせないために、記憶に止めようと、活動をされている人々に本当に頭が下がる。
何もできないことに対する罪悪感は無くなったけれど、
今後も引き続きオレが自分自身にできることで支援をしていきたい。
オレにはいったい何ができるのだろうか。
一つの旅が終われば、また次の旅が始まる様に、
ロックンロールで言う所の「初期衝動」を忘れずにこれからも転がっていきたいと思う。
とりとめの無い話なのかもしれないけれど、この一年、頭のどこかでずっとそんなことを考えていた。
だからこそ、1日1日や一瞬一瞬が本当に氣合いの入ったものになっている。
・・・そして、きっともうオレは死ぬまで逃れられ無いんだと思う。
社会の無関心とか、
考えなしに生きることへの怒りとか、
不正義とか、
訳のわから無いレイシズムとか、
そういったクソみたいなものから。
だからこそ、オレはオレなりのアンチテーゼを鳴らし続けながら、
大きな枠組みで言えば人類の団結の方向性を模索していく。
「お前に何ができるんだよ?」
っていう言葉が方々から聞こえて来そうだけど苦笑、
オレからの返答は
「これからも変わらず見ていてくれよ!」
になるのかな。
ちっとは成長したでしょう?笑
・・・まぁ、もうみなさん既にお氣付きの様に笑、
1年経ったっても相変わらずこんなテンションでオレは生きています。
変わった部分ももちろんあるし、変わらねーガンコな意思だって持ち続けている。
こんなオレですが、付き合いを続けてくれているみなさん、本当にありがとうございます。
今後とも何卒ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします。
一度きりしかない、このクソみたいだけど最高な人生を、
共に進んでいければ幸いです。
最後に、少し今後の展望を。
まず一つ目。
アメリカ徒歩横断、将来必ず決行します。
オーストラリア横断はチャリティーのためだったけれど、
アメリカ横断はただただ自分のため、オレがオレ自身の夢の一つを叶えるために行います。
あくまでも趣味として旅をしますので、ご興味がある方は引き続きフォローをしていて下さいね。
( twitter / @11punks )
次に二つ目。
人生のステージを更に上げるため大きなチャレンジを始めます。
場所なども変わることになるので、近くになる方々にはこちらからご連絡をしますね。
お逢いできることが楽しみです。
そして三つ目。
オレはこれから、メンタルセラピストを目指します。
オーストラリアでのチャレンジの途中やこれまでの人生の中で、自分なりに適正を見出した様に感じていること、
そして、「平和は人々の心の中にある」という確信を徒歩横断の旅の中で得たので、
それを自分の中で大きく育て、
ゆくゆくは多くの人々の心を救える、
もしくは様々な形で人々を勇氣付けてケツを蹴り上げれる様な男になる、
その様に決めました。
よって、ドイツかオランダ、もしくはその他のインスピレーションが呼ぶ国に向かい、
大学に入りなおし勉強を重ねます。
そのための準備を進めている道半ばの毎日です。
以上、現状報告と今後の展望でした。
なにより1年経って、今こうやって生きていられていることや、
多くの人々のおかげで「今がある」ことを強く強く感じる毎日です。
お世話になったみなさん、これまで関わってくれたみなさん、
本当に本当にありがとうございます。
あなたのおかげで、今があります。
心から感謝をしています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
そして、もし少しでも興味を持って頂けるのなら、東北の被災地に行ってみて下さい。
きっと何か感じることがあると思うし、
その「想い」を 大切にしてあげて下さい。
きっと人生での大きな財産になると思います。
・・・そういえば、昨年石巻に立ち寄った日の話。
オレの人生を変えた、とある場所へ立ち寄った。
初めて訪れた時のことを思い出しながら、決意を固めたあの時を思い、歩く。
「ここで一旦旅が終わるんだ。」
達成感はありつつも、そこには猛烈な寂しさもあった。
BEYOND WALKの本当のゴールはそこだった。
自分の中で決着がついて、その場を離れて駅に向かおうとした瞬間、突然なぜか頭の中で音楽が鳴り始める。
いてもたってもいられなくなって、爆音でこの曲を聴きながら走り出した。
そして涙が流れ始めて止まらなかった。
自分でも何がなんだか分からなかったけれど、
(きっと周りの人からしたら、ただの変人だったろうけど)
熱い思いが身体中を渦巻いていた。
結局一度も立ち止まらないまま、走り続けた。
きっとあの瞬間に、オレにとっての「新たなる旅」が始まった様に思う。
人生とは旅だ。
人生とは出逢いだ。
人それぞれ色々な人生だろう。
これを読んでくれているあなたもそうさ。
良いこともあれば悪いこともある。
(それすら捉え方次第だよな)
ただ一つだけはっきり言えることは、
「あなたの人生はあなたのもの」
選択権はあなたにある。
覚悟を決めて、誇り高く、悔いなく、トータルで人生を生きよう。
そして自分のために、誰かのために、
オレはそんな人生にしていくよ。
いつか、今日という日をも希望の日に塗り替えるために。
きっと、また、逢いましょう。
PEACE